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【連続テレビ小説 なつぞら】第10週 なつよ、絵に命を与えよ

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第10週 なつよ、絵に命を与えよ

6月3(月)~6月8日(土)

なつ(広瀬すず)はついに東洋動画に入社。仕上課でセル画に色を塗る仕事を与えられる。先輩の桃代(伊原六花)から手ほどきを受け作業を覚えていくが、緊張のあまりに手が震えてしまう。そんなある日、なつは仲(井浦新)から誘われ、憧れの作画課の部屋を訪れる。下山(川島明)たちとの再会を喜ぶ中、後輩を厳しく指導する女性アニメーターの麻子(貫地谷しほり)を目にし、なつは衝撃を受ける。数日後、なつのもとを背景担当の陽平(犬飼貴丈)が訪ねてきて、十勝にいる弟・天陽(吉沢亮)の近況について語り始めた。
(あらすじより)












【レビュー】



なつ(広瀬すず)はアニメーターになる夢を叶えるため、アニメ製作会社【東洋動画】へ入社することとなった。


本作は日本のアニメ黎明期を描くにあたって、その史実や人物を題材としている。しかし、ドキュメントではなくドラマということで、そのままではなく、脚色やオマージュされていてよりドラマチックな演出がなされている。


登場人物達にもそれぞれモデルとなった方々がおり、今回はその方々を紹介していきたいと思う。






【主人公】奥原 なつ(広瀬すず)

なつ

昭和12(1937)年生まれ。両親を戦争で亡くし、兄妹と別れ、父の戦友・柴田剛男(たけお)に引き取られ、十勝に移り住む。剛男の義父・泰樹(たいじゅ)のもとで、牧場を手伝ううちに、持ち前の明るさを取り戻す。高校卒業後は上京し、草創期を迎えていたアニメーション業界に飛び込む。アニメーターとして、大自然の中で育まれたみずみずしい感性を発揮していく。




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【モデル】奥山 玲子

奥山玲子

東北大学教育学部に入学するが途中で家出同然に東京へ。デザイン会社に入社するがうまくいかず叔父の紹介で東映動画へ臨時採用される。漫画やアニメに興味はなく「動画」と聞いて「童画」のことだと思ったという。

東映動画長編第一作目『白蛇伝』に動画として参加。積極的に主張して仕事を取ってくる男勝りなタイプだった。また地味なアニメ業界にあって、カラフルな洋服を日替わりで着てくるなどファッショナブルさでも知られた。組合活動にも積極的に参加。東映動画在籍中に同僚の小田部羊一と結婚。

その後『母をたずねて三千里』で小田部と共同作監、『じゃりン子チエ』(劇場版)で小田部作監のもと原画を担当するなど共同での仕事も多く、おしどり夫婦として知られた。銅版画家としても作品を遺している。
作画@wikiより)












【アニメーター・作画担当】仲 努(井浦 新)

仲 努

東洋動画アニメーターのリーダー、日本初の長編アニメーションの作画監督として活躍。穏やかな物腰で人望が厚く、かわいいキャラクターデザイン、繊細な表現を得意とし、みんなから師と仰がれる。




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【モデル】森 康二

森こうじ

日本動画→東映動画→ズイヨー映像(日本アニメーション)

政岡憲三氏のもとで日本動画株式会社でアニメーターをはじめ、東映動画初期において技術的土台を作り上げる。
1992年死去。享年68。

息子に森淳がおり、淳氏もアニメーターとして活躍していた。
作画@wikiより)












【アニメーター・セカンド】大沢麻子(貫地谷しほり)

大沢麻子

美大を卒業後、東洋動画に入社したスゴ腕アニメーター。通称「マコ」。作画監督の仲をサポートし、現場をまとめる。クールに見えるが内面は熱く、誰に対しても物おじしない性格から、社内で孤立することも。




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【モデル】中村 和子

中村和子

穴見和子(あなみかずこ)とも。若い頃は美人アニメーター「ワコさん」として知られた。 東映動画長編第一作『白蛇伝』より動画として参加。その後手塚治虫に気に入られ、虫プロへ移籍し『鉄腕アトム』『リボンの騎士』などの作画を担当。技術的蓄積がほとんど無かった虫プロ黎明期を支えた。

萬年社の穴見薫(後に虫プロ常務)と結婚するが、穴見は若くして死去。
虫プロで買った新車で東映時代の友人大塚康生のところへ見せに行った際、大塚が中村にドライブテクニックを教えてやろうと同乗・運転して失敗しブロック塀に激突、廃車となる。大塚は以前から虫プロへの移籍を乞われていた経緯もあり、W3のオープニングを作画することでチャラにしてもらう。

動きの面白さこそ第一であった東映動画から虫プロへ移籍した中村は、大塚に「動かさないことがナウなのよ」と言ったという。これは東映動画と虫プロの空気の大きな違いを表している。
また手塚プロの『バンダーブック』では手塚の絵は描けないという湖川友謙に頼みに行き「いい返事がもらえなければ手塚のもとに帰れない」と粘るという芯の強さも見せた。

手塚のマンガ『三つ目がとおる』の和登さんのモデルとも言われている。アラン・ドロンのファン。
作画@wikiより)












【アニメーター・作画担当】井戸原 昇(小手伸也)

井戸原 昇

仲とともに作画監督として、アニメーターたちをけん引する。芸術家肌の仲とは対照的に、驚異的なスピードで上質な作画を仕上げる実務家肌。大柄な体格ながらも、繊細な心の持ち主で、個性派集団をうまく束ねていく。




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【モデル】大工原章

大工原章

創成期の日本のアニメーションを支えた才人・大工原章氏。作品毎に全く異なるスタイルを打ち立て、持ち前の万能技とスピードで東映動画初期長編の作画監督を歴任した。その柔軟な指導で技術を磨いて巣立って行った後進のスタッフも数多い。 (『日本のアニメーションを築いた人々』(叶精二/若草書房/2004年)より)












【彩色担当】森田桃代(伊原六花)

森田桃代

通称「モモッチ」。高校卒業後、絵が好きという理由だけで、アニメーションのことは全く知らずに、東洋動画に入社する。セル画の彩色を担当。




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【モデル】保田道世

保田道世

東京都立石神井高等学校卒業後、1958年、東映動画(現・東映アニメーション)の仕上部門に入社、CMやテレビシリーズのトレースを手がける。組合活動を通じて高畑勲と宮崎駿の2人と知り合い、『太陽の王子 ホルスの大冒険』にトレースで参加、以後Aプロダクション(現・シンエイ動画)、日本アニメーション等で『母をたずねて三千里』『未来少年コナン』など、多くの作品で仕上チーフ・色指定をつとめる。

1984年『風の谷のナウシカ』に参加して以来、スタジオジブリ劇場用作品のほとんどの色彩設計を担当。『崖の上のポニョ』以降は一線から離れ、宮崎駿監督作品(『パン種とタマゴ姫』、『風立ちぬ』)の色彩設計に限定していた。

押井守はジブリがデジタルに転向した理由を「宮崎駿が保田道世に逆らえない人間だったからである。彼女が『デジタルペイントに変える』と宣言したその方がいいって。デジタルペイントを使い始めるってことは自動的に撮影までコンピュータでやらざるを得ない。あとは一気にスタジオ全部がデジタル化した」と語っている。

宮崎駿からは「戦友」、高畑勲からは「同志」、押井守からは「強烈なおばさん」と、それぞれ評された。
Wikipediaより)























NHK連続テレビ小説『なつぞら』公式サイト
https://www.nhk.or.jp/natsuzora/















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昭和生まれの東北人。

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